2012年4月9日月曜日

4月8日、アメリカ縦断終了日から7日が経過、サンフランシスコ発で帰国した日から3
日が経過した。今日から仕事をすることになります。時差ボケで今日も午前3時半に起きて
しまったのでアメリカ雑感をブログに掲載します。繰り返しているのですが、アメリカは強
大国、国民のパワーが満ち溢れているように感じました。つまり、街々の人々の躍動感です。
何故だろうと考えると、大陸には新しい夢を次々に人々に与えてくれる何かがあるのです。
人々は成功しようと頑張る土地を探し求めて、次々に移動できるだけの夢を与えるくれる
広い土地がある国がアメリカ大陸です。社会資本や企業資本、個人財産等が日本のそれに比
べ、厚みも広さも勝っていました。人間性も大陸に住む人と半島や島に暮らす人は、自ずか
ら価値感が異なると思います。今回はアメリカに住んでビジネスをしている中国人や韓国人
同じく日本人と進んで接触をしましたので、今後のビジネス拡大に大いに参考になりました
 私は日本人と中国人、韓国人等が力を合わせて、アメリカのドルや欧州のユーロを獲得す
べきと思っています。アジア同士のビジネスでは、親子や兄弟でお金が行ったり来たりして
いるだけです。今日はこのへんで、さようなら。
                            小冒険家    照沼重輝

2012年4月8日日曜日

4月8日午前2:45日本時間、私のアメリカ縦断が終わりました。3月22日成田発、
22日ニューヨークJFK着・・・ワシントン・・・オーランド・・・キーウエスト・・・ニューオリン
ズ・・・ダラス・・・サンフランシスコ・・・4月6日成田着、合計15泊のレンタカー利用のアメリ
カ縦断視察旅行は終着駅に停車しました。
 アメリカの広大さ、消費経済、公共事業、都市開発の現状、高速道路建設、大型レジャー
産業、コンビニ、アウトロックという名のビジネス、モーテル産業等々、どれを見ても日本
より質も量も勝っていると思いました。私は今の日本に適合できるビジネスを発見しようと
旅に出ましたが、まだその答えは出ていません。今のところ、一つだけ出ているヒントは、
「商品と販売方法の発明」いわゆる新しいビジネスであろうと半ば結論づけています。
 アメリカ大陸で考案した最新ビジネスを、アメリカニューヨークから発信し、中国上海と
日本東京に同時受信させるトライアングル地点をヒントにしようと考えています。
取り合えず、縦断の旅は終わりました。しかし、次の小冒険の旅の準備を開始ます。
                  水戸藩 村松宿在住 照沼重輝

2012年4月7日土曜日

4月4日はサンフランシスコに滞在、現地華僑友人と夕食会がありブログを休みました。
同上5日空港近くの安モーテルを午前9:00に出発し、SFO空港に向かう。レンタカー
をハーツに返却し、ANAカウンターで搭乗手続きをする。ゲートは99番で向かう途中の
各店を見学。ほぼ日本と同じ物価のようだが世界中の客が入っていた。離陸時間までにこれ
まで回ってきた都市の特徴を感じたままに、入力したので紹介をしてみます。
 ニューヨーク・・・世界の中心だが電飾の街、ワシントン・・・大役人と権力の町、オーランド
・・・総合レジャーランドの町、フロリダ・・・寝ないで派手に遊びたい町、キーウエスト・・・醒
めた人も詩人になる夕日の岬、ニューオリンズ・・・ジャズと昼夜問わず派手すぎの街、ダラス・・・ビジネスへの意欲が湧く大都市、サンフランシスコ・・・太平洋を抱えた人情豊かな大都市、以上感じたままの表現です。
 SFO空港を出発したANA007便は成田に6日の午後3:50分に無事着陸をしました。乗客は400人以上の満員状況で若い客が多く、意外と中高年が少なかったです。とり
あえず、ブログの抜けた日時を記しました。アメリカ縦断のテクニックやアメリカビジネス
の潮流等のことは、後日まとめて掲載してみます。ただし、あくまで素人ですから、笑って
ご一読をしていただければ大変ありがたいです。
               水戸藩 村松宿在住 照沼重輝

2012年4月4日水曜日

4月4日(水)Am6:00サンフランシスコ時間、帰国日は近いが里心はまだ起きていない。
昨日の続きを記します。一人でテーブルに座って開始時間を待っていると、次々にメンバー
が来て「My name is ・・・・・」と言って握手を求められました。私も「My・・・・・・」と言い英
語で職業や所属RC等の自己紹介をしました。聞くと、サンフランシスコの人口は412万
人でRCメンバーは200人前後とのこと。恰幅の良い女性メンバーも多く見受けました。
12:00に鐘がなり、水戸RCと同じように例会が進んでいきます。違うのは食事と
報告事項が同時です。食事内容はステーキを中心としたアメリカ式で豪華です。4月誕生の
人が前に出て一人一人スピーチをしています。私は自分の4月誕生を忘れていましたが、
覚悟を決めて前に出ました。私のスピーチの番がきました。私は鳥のオウムみたいに先ほど
から繰り返している英語で、身振り手振りを多くし「From Japan Mito RC,Tokyo and Mito
city 80 mile・・・・」等のスピーチをしました。笑い等を誘うジョークを言う必要もなく、会場
に笑いが起きました。つまり、私の英語発音があまりにも日本的発音で面白かったようです。一人拍手を盛んにしてくれる方がいました。おかしいな思い、そのほうを見ると、立派な髭
を生やした軍人のような方、もしくは地位の高い雰囲気を持った紳士でした。私と同席をし
ていた秋田県から日本人でした。その紳士は相当な英語でRC会長と談笑をしていた人です。
席に戻ると紳士は「良かった」とだけ言ってくれました。その方から頂いた名刺を後でそっ
と見ると、農学博士の肩書がありました。その後の会議は、RCの手法で進行していきました。
秋田佐竹藩と水戸佐竹藩の末裔同士の同盟?で、バナー交換時に相互に写真を写す役割を約
束をして、そのとおり実行できました。私のテーブルは右隣は女性、左隣は秋田の紳士、
左一席おいて女性、男性の同席は5名の8人席のテーブルでした。全出席者は100名を
超える例会です。現地RCのメンバーで日本語ができる方は誰もいませんでした。例会は2時
間で終わりました。丁重に会長にお礼を述べて会場を後にしました。思うに、日本力が低減
しています。落胆、今や日本は世界の少数民族になってしまうかもしれません。私はこの例会
参加に、日の丸を背負っているつもりで出席し、英語発言とゼスチャーを大袈裟にやりました。中国大陸やアメリカ大陸を歩いていると、日本人は遠慮しすぎることを感じます。
日本列島の中ならば遠慮は美徳ですが、大陸では内気な日本人としかみてくれなく、何かと
損をします。今回のサンフランシスコRC例会に参加して、以上のようなことを思いブログに
記しました。
                      村松宿在住 照沼重輝
4月3日(火)現在Pm9:00サンフランシスコ時間、本日RCメークアップに行ってきました。クラブは全米第2番目に設立されたサンフランシスコロータリクラブです。会場はSir.Francis Drake Hotelで目抜き通りにあるヨーロッパ調の格式あるホテルでした。先ず会
場の下見にAm10:00に出かけ、フロントでRC会場を聞き、2階に行きました。早すぎ
て誰もいません。受付テーブルにメモがあったので、From Japan Mito RC, Make up,Name
is S.Terunumaと書置きをしました。それからロビーの目立たない所に陣取り、サンフランシ
スコRCの紳士達の出席雰囲気を観察し始めました。ホテル玄関に来る車はリンカーンやキャ
デラック、ベンツ等の高級車です。Am11:30から受付が始まりました。私は受付に行き「How much?」担当委員は「50$」と言う。黙って50$を払うと領収書をくれました。
次に名札に自分の名前を書いて胸に張れというようなことを英語を言ってましたので、私は
面倒だから、「Teru」とだけ書いて胸に張り、待つ席はどこでも良いですかと聞くと、
「OK」と言われました。ここからが冷や汗の場面が続きますが、時間の関係で記載は
明朝にします。 
                水戸藩 村松在住 照沼重輝

2012年4月3日火曜日

4月3日AM6:40サンフランシスコ時間、昨夜は飲みすぎた。頭はフラフラ、目はシ
ョボショボ、喉は乾き、酷い目覚めになりました。外を覗くとまだ暗く、朝だというイメー
ジが湧いてきません。今日はサンフランシスコ市内のロータリークラブに訪問する日です。
さて、知らないクラブに行くわけですが、日本RCの礼儀作法は世界の礼儀作法にあってい
るのか、心配があります。しかし、心配が楽しみになってきました。言語が違うので小冒
険を味わえます。水戸RCの皆様はどうなるか楽しみにしていてください。今から英語の挨
拶を少し勉強します。さて、日本を出発してから12日過ぎました。終わりたくない終わり
が近ずいてきてしまいました。思えば、私の青春期、ケネデイ暗殺の地に立つ、少冒険、
アメリカのダイナミックな消費状況視察、ビジネスチャンス発見、体力、知力、判断力、
更に登ってみよう一層の楼の精神、‥等を獲得する目的でこちらに来ました。収穫があっ
たか否かは分かりませんが、脳みそのクリーニング、感受性のトレーニング、異文化人と
の交わり方、体力維持等には効果があったようです。終わり
                  水戸藩 村松宿在住 照沼重輝
4月2日PM12時10分サンフランシスコ時間、サンフランシスコに15:30分到着し
ました。慣れたものでハーツレンタカーでダッジを借りて市内に出ました。旧友の郁氏の邸宅
に行き、再会を喜び合いました。彼は俺を若いと言い、俺は彼を若いと言い、互いに上海で
の再開を2年ぶりに喜び合いました。夜中華料理店で郁氏の招待テーブル囲み昔話に祝宴を
揚げました。ちなみに、郁氏は有名な小説家郁達夫氏の直系末裔です。
 さて、明日はロータリークラブに行こうと思っています。しかし、今夜の紹興酒で酔いま
したので、明け方にブログを掲載します。すみません拝
 だけど酔いました。ごめんなさい。数時間後に再会しましょう。good bye.
照沼重輝

2012年4月2日月曜日

4月2日AM6:00ダラス時間、今日はサンフランシスコに飛行機で移動します。昨日は興奮
しました。アメリカ縦断の完走日とケネデイ大統領の暗殺の地点に立った日でした。
今回の旅は、私の青春時代に起きた世界の悲しい出来事の地に行き、その当時の私の青春時
代を思いだし、これからの企業活動や社会活動の指針を新しく定めるためのエネルギーを湧
き起こしかったのです。終焉地点に立った私の心に、当時の出来事が生生しく再現されました。オープンカーの上で撃たれてのけ反っているケネデイ、ジャクリーンがシートから這い
出た恐怖の場面です。交差点の角に今でもあるテキサス州教科書倉庫の6階の窓、発射弾を
数発受けた地点の道路上の地点には、赤い色の表示杭が数個ほど埋め込まれています。パレ
ードの車両が左折する一番ゆっくり走る交差点の角の地点でオズワルドは狙い撃ちをしました。この地点が、私の青春時代の心の始まりでした。当時、世界は混沌としていました。
キューバ危機を経て、ベトナム戦争に突入、日本は戦後が終わりつつあり、何が何だか分
からない好景気に湧いていました。少年だった私は、ケネディが暗殺された理由が分かり
ませんでした。この地点に立てたことで、帰国するまでに少年から青春時代の頭と心と体を
整理し、青春時代に匹敵するエネルギーを湧き起こすつもりです。もし、同年代の人がこの
ブログを読んでいたら、青春時代の心の地に行く検証をお勧めいたします。拝
 
 
今夜はサンフランシスコで記します。
 
                    水戸藩 村松宿在住 照沼重輝
4月1日、ホテルから暁未明にダラス空港に向かった。40分で到着、NY→ダラスまで
走行距離4182kmでした、グーグルで予測した距離は4216kmで変わりませんでした。その差は、34km程度でした。私の63歳の旅は終わりました。4月6日が誕生日で
すから帰りの飛行機の中で誕生日を迎えれます。
 今日の午後はケネディ終焉の地に行きますので、夜にブログを掲載します。
 水戸藩 照沼重輝

2012年4月1日日曜日

 3月31日(土)PM8:12テキサス州ダラス時間、今日はゴンザレスからダラスまで750km走りました。やっと、日本食にあり付けるかなと思ったら、1泊49$の安ホテルなので周囲に何も無し。できるなら、本日はダラス空港まで行って、NY→ワシントン→キーウエスト→オーランド→ニューオリンズ→ダラス到着の4200kmの完走式をやりたかった。アメリカ芸者でも呼び二日酔いになるほど飲みたい。3年前のNY→サンフランスコ横断の感動に比べ、
喜びがじわーり、にんまりと来ています。なぜ、じわーりかといえば、ダラス空港まで32kmの安ホテルで待機のような状態だからです。明日の4月1日の先勝に到着するような予定を組みました。万が一到達できなく嘘をついても、地獄の鬼にベロを抜かれない保証もあります。さて、ダラスは大きい街で街並みのスケールが大で高速道路が素晴らしいです。ブッシュ元大統領の選挙基盤の土地ですから経済活動も活発なようです。人口は120万人、商業都市、大きなビルが林立しています。人種は様々ですがアジア人は10万人ほどいるそうです。
 
 明日の予定は、暁にダラス空港に到着、NY~ダラスまでの全体の走行距離がでます。後に
報告をします。それに計画をしていたダラスのロータリークラブにメイクアップには、日曜日なので行けませんので、日本人会の事務局にでも行って来ようかなと考えています。明日の夜にブログ上で報告をします。
 ラス前の感想ですが、アメリカは縦横に広大、緑豊か、国民は感情豊か、自然は売るほど有り、世界の中心国としての自負心が感じられます。このようなことを記していると、明日は
ダラスの中心地で日本、水戸藩、クリントン大統領にお札を出した村松大神宮の氏子名のアピールしてやろうかなと考えています。
 長くなり、纏まらなくなったので終わりにします。では明日さようなら。
 
 
                         小冒険家 照沼重輝